この世で私だけが不幸だと感じてしまうあなたへ
こんばんは。 碧川翡翆です。
人には誰しも、恵まれている点と
そうでない点があります。
自分を好きになれない人や自分を卑下してしまう人は
「私は何もかもが最悪だ…」
「この世で私だけが不幸」だと思い込んでいます。
恋愛も、仕事も何もかも最悪だ…とか
仕事は出来るけど恋愛ではいつも苦しい…とか
自分が一番不幸であるのなら
もうとっくにこの世にはいないはずです。
色々ツラい目に遭いながらも、
何とか生きて来られたということは
あなたは本当は充分に幸せであったということなのです。
自分の努力が実ったとか、誰かの助けがあったとか
彼と出逢えたとかね。
それでも「私は不幸だ」っていう人は
幸せが目の前に転がっていても、見えていません。
いえ、見ようともしないのです。
「健康な身体があり、住む家があり、家族がいる。」
「与えられたものに感謝すべきではないですか」と言われると
「そんな当たり前のことに感謝など出来ない」と反論します。
「世の中には、もっと恵まれない立場の人もいるのですよ」と言われれば
「自分より恵まれている人もたくさんいるではないか。不公平だ」と言い返します。
「他人の役に立つことをすればどうですか」と言われれば
「自分のことで精一杯で、他人のことを考える余裕はない」
まるで、自ら幸せになることを頑なに拒否しているかのようですよね。
自分を不幸だと嘆いている人は、なぜわざと幸せから目を背けようとするのか。
それは、「自分にも恵まれている点がある」ということを認めてしまえば
自分の人生がつまらない(と思っている)ことに対して言い訳が出来なくなってしまうからです。
「私は容姿がみにくいから、愛されないのだ」
そう言っておけば、自分が愛されないことについて
「自分の努力ではどうしようもないのだ。自分が悪いのではない」と言い訳が出来ます。
「容姿が美しくなくても、皆から愛されている人はたくさんいますよ」と言われれば、「そういう人は、優しい親に愛されて育ったからだ。
「私は親に愛してもらえなかったから、自分に自信がもてないのだ」と新しい「不幸の理由」を主張します。
「親に見捨てられても、立派に生きている人はたくさんいますよ」と言われれば
「そういう人は、たまたま才能に恵まれていたからだ。私には何の取り柄もないのだから、仕方がない」と、さらに言い訳をつくろいます。
「不幸である理由」を数え上げればきりがないのと同じように
「幸せである理由」も探せばいくらでも見つかるのです。
「自分が不幸であること」の言い訳も
突きつめれば「自分の考え方が間違っている」という結論に辿り着きます。
自分を好きになれないという人は、「間違いを認めようとせず、言い訳をしている自分」が好きになれないのですよ。
正確に言えば、「間違いを余りにも深刻に捉え過ぎている」のですよ。
「間違っていた」といっても、道徳的な罪を犯したわけじゃない。
単に「やり方が間違っていた」だけの話しです。
間違いに気付いたなら、それを改めればイイだけのことなのです。
思い通りにならなくても、人間はそこそこ幸せに生きていけるものです。
少しだけ勇気を出して、「自分が幸せである理由」を見つけてみましょう。
間違いを改めないことを非難されることはあっても
改めて責められることは決してありませんから。
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